「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

懐かし系の試合を中心に日本ボクシングを紹介するブログ。映像を見た感想を書いています。

令和のボクシング⑧(2024年10月、世界王座戦:矢吹正道、岩田翔吉、中谷潤人)

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」「シベナティ・ノンシンガ vs. 矢吹正道」「岩田翔吉 vs. ハイロ・ノリエガ」「中谷潤人 vs. ペッチ・ソー・チットパッタナ」を紹介します。

矢吹正道 9R TKO シベナティ・ノンシンガ
IBF世界ライトフライ級タイトル戦、2024年10月12日)
(ダウンシーン)
8R:右ストレートでノンシンガがダウン
9R:右フック、右ストレートで2度、ノンシンガがダウン
(感想:矢吹がタイトル獲得。2位の挑戦者、矢吹は元WBC王者。寺地拳四朗からTKO勝ちでWBC王座を奪ったが、KOで奪回された。IBF王座挑戦者決定戦に勝利して、この挑戦。王者ノンシンガは南アフリカの黒人。ニックネームは「Special One(特別な存在)」。IBFインターナショナル王座(ライトフライ級)などを獲得後、決定戦でIBF王者に。一度は王座を奪われたが、奪回。矢吹戦は奪回した王座の初防衛戦となる。愛知県国際展示場での一戦。共にガードを上げて相手を警戒しながらジャブ、右ストレート。矢吹は攻撃が多彩。意表を突くタイミングでフック、右カウンター。そして左フックからの右ストレート、右ストレートからの左ジャブ、右フックからの左ボディ打ちといったコンビネーション。ノンシンガは正統派であるが、動きのスピードに欠けるため攻撃をディフェンスされる。ただ、右フックにはパワーがある。互いにディフェンス。5R、矢吹が右カウンター。当てる巧さで矢吹が優勢。8R、連打からの右ストレートでノンシンガがダウン。9Rにも右パンチで二度のダウン。二度目のダウンと同時にレフェリーは試合を止めた。矢吹がコンビネーションで勝利。ノンシンガはスピードに欠けるうえに正直なボクシング。矢吹に動きを読まれたようだ。)

岩田翔吉 3R TKO ハイロ・ノリエガ
WBO世界ライトフライ級王座決定戦、2024年10月13日)
(ダウンシーン)
3R:右アッパー、左フックで2度、ノリエガがダウン
(感想:岩田がタイトル獲得。1位の岩田と2位ノリエガによる決定戦。岩田は「帝拳」所属。格闘技を始めたのは9歳の時。プロデビューは2018年。カリフォルニアでTKO勝ち。以後は日本で。日本王座、OPBF王座、WBOアジア太平洋王座(すべてライトフライ級)獲得。2022年11月1日、ジョナサン・ゴンサレスプエルトリコ)のWBO世界ライトフライ級王座に挑戦して判定負け(3-0)。フィリピン人相手に四連勝で二度目の同王座挑戦。ノリエガはスペイン人。これまで全勝。欧州連合王座(フライ級)、WBCシルバー王座(ライトフライ級)などを獲得。直前の試合は初の海外試合(ニカラグアマナグア)でWBOのラティノ王座(ライトフライ級)を獲得している。有明アリーナでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア)。共にきびきびした動きからライトフライ級とは思えないほどパワーのあるジャブ、ワンツー、フック攻撃。左のテクニックがあるノリエガ。右フックからの左フック、左フックからの右ストレート、踏み込んで左フック。岩田は右フックでボディ打ち。互いにパワフルに打ち合う中、3R。右アッパー(&背後からのラビットパンチ)でノリエガがダウン。立ったが、効いている。左フックを食い、さらに左フックで二度目のダウン。倒れると同時にレフェリーストップ。ノリエガは試合終了後もしばらく立てないほどのダメージを負った。岩田が一瞬の隙を突く攻撃で一気に勝利。どちらが勝ってもおかしくない勝負。長い試合になるように見えたが、3Rに終わった。負けたがノリエガは実力者。また世界王座に挑戦して欲しい。)

中谷潤人 6R TKO ペッチ・ソー・チットパッタナ
WBC世界バンタム級タイトル戦、2024年10月14日)
(ダウンシーン)
6R:連打、ワンツーで2度、ペッチがダウン
(感想:中谷がタイトル防衛。三階級制覇王者、中谷の二度目の防衛戦。挑戦者ペッチ(タイ)は2018年12月に井上拓真とWBA世界バンタム級暫定王座を争って判定負けしたことがある。有明アリーナでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア)。共にサウスポー。互いに警戒しながらジャブ、左ストレート、右フック。かつての名王者カオサイ・ギャラクシーに目が似ているペッチはカオサイと同様、サウスポースタイルからパワーを込めた打ち方。中谷は軽く合わせるような右フック、ワンツー。力強いペッチだが攻めが単発でディフェンスされるため接近戦を選択。互いにパワーを込めたフック、ボディ打ち。6R、連打をまとめる中谷。ペッチがあっけなくダウン。立ったが、ワンツーで二度目のダウン。レフェリーは試合を止めた。中谷がディフェンス&連打で勝利。最初のダウンの連打は映像では強いパンチには見えなかったが、これまで一度もKO負けしたことがないペッチは倒れた。その前の打ち合いでボディが効いていたのかもしれない。)

 

「強打の怪物」井上尚弥⑧「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

四階級制覇王者。スーパーバンタム級制圧。「vs. マーロン・タパレス」「vs. ルイス・ネリ」「vs. テレンス・ジョン・ドヘニー」を紹介します。

井上尚弥 10R TKO マーロン・タパレス
WBAWBCIBFWBO世界スーパーバンタム級王座統一戦、2023年)
(ダウンシーン)
4R:左フックでタパレスがダウン
10R:右ストレートでタパレスがダウン
(感想:井上が王座統一。バンタムで四団体王座を統一した井上(WBCWBO王者)。次はスーパーバンタム級で「四団体王座統一」を狙う。WBAIBF王者のタパレスは井上より一つ上の31歳で、これまで37勝(19KO)3敗のフィリピン人サウスポー。WBO世界バンタム級王者だった時もあったが、防衛戦での体重オーバーで王座を剥奪されたことがある(試合には勝利)。2023年4月にムロジョン・アフマダリエフを2-1で下してWBAIBF王者に。これが初防衛戦となる。有明アリーナでの一戦。左と右の構えの違いはあるが、互いにガードを上げて相手を警戒してジャブ。井上はワンツー、右ボディ打ち。タパレスはブロックしながら突き刺すような左ストレート。いつもとは違って慎重な井上。左で待ち構えるタパレスを警戒してワンツー。タパレスはディフェンシブ。フックで反撃するが、攻められるとディフェンスに専念。4R、井上がワンツーからの左ボディ。そして左フックでタパレスがダウン。5Rも見せ場。井上がストレート、左右フック連打。タパレスもフック、ワンツー、右アッパーで反撃。しかしながら、タパレスは素直なボクシング。カウンターを取るタイプではない。その後も攻める井上。ブロックしながら打ち返すタパレスだが、10Rに右ストレートでダウン。ヒザをキャンバスに着いたまま10カウント。井上がガードの固い相手をKO。多少打たれてしまったが、井上もまたディフェンスが固かった。タパレスはよく頑張ったが、そこまで。攻防が分離しており、カウンターできないところに限界があった。)

井上尚弥 6R TKO ルイス・ネリ
WBAWBCIBFWBO世界スーパーバンタム級タイトル戦、2024年)
(ダウンシーン)
1R:左フックで井上がダウン
2R:左フックでネリがダウン
5R:左フックでネリがダウン
6R:右フックでネリがダウン
(感想:井上がタイトル防衛。四団体統一王者の井上が注目の選手と対戦。挑戦者ネリ(メキシコ)はWBC1位。山中慎介との試合で「ウェイトオーバー」「ドーピング疑惑」があったことから日本では「汚い手段で山中を傷つけた男」という扱い。山中から奪ったWBC世界バンタム級王座をウェイトオーバーで剥奪された後、決定戦でWBC世界スーパーバンタム級王座獲得、二階級制覇。KOで王座陥落。以後、WBC世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦に勝利するなど四連勝中。東京ドームでの一戦。1R、井上がジャブ、右フック。サウスポーのネリも右ジャブ、左フック。打ち合いの中、井上が左フックでダウン。攻めるネリ。井上はディフェンス。2R、井上が慎重姿勢からジャブ、右カウンター。ネリは必殺の武器である左パンチを当てようと狙うが、左フックでダウン。その後は井上が強いジャブ、右ストレート、左右フックボディ打ち。ネリは攻めようとするが手が出ない。5R、攻めるネリだが、頭から突っ込む危険行為。そして、左フックでダウン。6R、後退したネリが右フックでダウン、レフェリーストップ。井上が強打で勝利。最初から攻めすぎてダウンを食ったが、その後はジャブ、ディフェンスで体勢を立て直した。ネリはパンチはあったが、ジャブが少なかった。表情もどことなく弱気。会場の雰囲気(自分に対する敵意)と井上の強打に圧倒されたのだろう。)

井上尚弥 7R TKO テレンス・ジョン・ドヘニー
WBAWBCIBFWBO世界スーパーバンタム級タイトル戦、2024年)
(感想:井上がタイトル防衛。挑戦者ドヘニー(アイルランド)はアマチュアで豊富なキャリア。プロでは全勝のまま岩佐亮佑に挑戦してIBF世界スーパーバンタム級王座獲得、防衛にも成功。王座陥落後は連敗したりで不安定だったが、このところ日本で三連勝。しかし、年齢は37歳。ハッキリ言って「井上と勝負できるのか?」といった感じがするチャレンジャー。しかも計量時から11キロ増でリングイン(「世界スーパーバンタム級タイトル戦」ではあるが、それは計量時の体重。リングに上がった時の体重は「スーパーバンタム級」ではない)。それがどんな結果をもたらすか? 東京「有明アリーナ」での一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア。井上のコーナーにはいつものように父と弟)。坊主頭のドヘニーは細かいボクシングをするサウスポー。相手から距離を取って右ジャブ、左ストレート。手は出してはいるが受け身の姿勢で、相手をKOするような攻めではない。そんな相手にプレッシャーを掛けて前進する井上。ジャブ、ワンツー、ディフェンス。右ストレートを当てる井上だが、ドヘニーはディフェンシブでしぶとい。6R、井上が右フック、連打、左ボディ打ち。7R、連打を浴びたドヘニーが腰のトラブル。棄権する形でレフェリーストップ。井上が楽勝。ドヘニーに井上を倒すようなパワー・スピードは無かった。これが初めてのKO負けとなった。)

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日本ボクシング名勝負(4)「サンドロ・ロポポロ vs. 藤猛」

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」世界J・ウェルター級タイトル戦、1967年4月30日、蔵前国技館。両選手、試合内容、その後の両者を紹介します。

藤猛 2R KO サンドロ・ロポポロ
(藤が王座獲得)

サンドロ・ロポポロ(王者)

イタリア人(見た目が成田三樹夫っぽい)。イタリア王座を獲得後、欧州王座にも挑戦したが、勝てず。カルロス・エルナンデスを破って世界王者に。これが二度目の防衛戦となる。

藤猛(挑戦者)

ホノルル出身の日系三世。ハワイ州のハイスクール卒業後、軍人に。日本でも勤務。アマチュアで活躍。故・力道山が創設した「リキ・ボクシングジム」のスカウトで同ジムに所属。トレーナーはハワイでジムを経営していたエディ・タウンゼント。器用ではないが、異常に強いパンチを思い切りぶちかましていくタイプ(いわゆる「ケンカボクシング」。「軍隊時代に身に付けた」という(本人談))。日本王座、東洋太平洋王座(いずれもJ・ウェルター級)を獲得し、それぞれ初防衛に成功後に返上。そして、この初の世界挑戦。

内容

ロポポロは優雅な戦い方。左のガードをやや下げた構えからジャブを出し、右ストレートには伸びがある。攻める藤。ロポポロはフットワーク&ジャブで攻撃をかわすが、2Rに強烈な右フックでダウン。立ったが、左フックで二度目。最後はロープ際でロポポロが滅多打ちにされたところでレフェリーストップ(ロポポロのセコンドが棄権を申し入れてのストップ)。藤が何とも豪快な世界奪取。日本人の世界タイトル戦は軽量級が中心で、これまでの日本ボクシングがかすんで見えてしまうような凄まじい勝ち方だった(後の浜田剛史平仲明信の世界J・ウェルター級王座奪取劇もインパクトのある内容だったが、そういった点では藤が先輩)。

その後の両者
惨敗だったロポポロ。その後、欧州王座に数度挑戦したが、勝てず。世界戦は藤戦が最後となった。藤はウイリー・クアルトーア(西ドイツ)にKO勝ちして世界王座の初防衛に成功したが、所属ジムとの間に金銭トラブル。引退届を出すなどの混乱からWBC王座剥奪。「WBA王者」として1位ニコリノ・ローチェ(アルゼンチン)の挑戦を受けたが、10R でTKO負け。王座陥落後、連勝したが、予定されていたエディ・パーキンス戦を拒否をして結果的に引退。その後はキックボクシングに転向して試合を行ったり、ボクシングスクールでコーチしたり。ボクサーとしては不器用なタイプで、またジムとの問題もあったが、「ロポポロ戦」という最高傑作が残したり、個性的な発言がウケたり(「オカヤマのおバアちゃん」)で記憶に残る選手となった。
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日本ボクシング名勝負(3)「エデル・ジョフレ vs. ファイティング原田(初戦)」

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」世界バンタム級タイトル戦、1965年5月18日、愛知県体育館。両選手、試合内容、その後の両者を紹介します。

ファイティング原田 15R 判定 エデル・ジョフレ
(原田が王座獲得、二階級制覇)

エデル・ジョフレ(王者)

「ガロ・デ・オーロ(黄金のバンタム)」と呼ばれる男。ブラジル・サンパウロ出身。父と兄弟もボクサーの「ボクシング一家」。ジムを経営する父の指導で才能が開花。メルボルン・オリンピック(1956年)に出場したが、メダルは獲得ならず。しかしながら、アマ戦績は150戦148勝2敗という驚異的なレコード。プロ入り後、正確無比な攻撃でこれまで無敗(引き分けがいくつか)。ジョー・メデル、青木勝利らを相手に八度の世界王座防衛成功。

ファイティング原田(挑戦者)

ポーン・キングピッチに世界フライ級タイトルを奪回されて、階級アップ。ジョー・メデルに逆転KO負け。しかし、それを「良い経験」に変えてライバル青木勝利をKOするなど連勝で、この挑戦。

内容

原田が右ストレート、左フックで先制攻撃。ジョフレはガードを固めてジャブ、左ロングフック。ジャブを連打する原田が4Rに右アッパーを決めてジョフレが後退。しかし5R、ジョフレが強烈な左フックと右ストレートを打ち込んで報復。パワーでジョフレ、手数で原田、といった展開で15R終了。判定は2-1。長いパンチがパワフルだったジョフレ。ショート連打の原田。ジャッジも採点が難しかっただろう。ジョフレがハードパンチャーだったためスリリングになった試合。また、ジョフレがインターバルの時にコーナーの方を向いて座り、それが試合を独特な雰囲気にしていた。

その後の両者
勝利した原田はオープンカーで都内をパレード。再戦も原田の判定勝ち。失意のジョフレは引退。そしてカムバック。連勝後、ホセ・レグラからWBC世界フェザー級王座を獲得。かつての名王者ビセンテ・サルジバルをKOして初防衛に成功。その後、王座を剥奪されたが、地元ブラジルのリングに上がり続けた。結局、全キャリアでジョフレが負けたのは原田のみ。引退後は政治家に転身し、サンパウロ市の市会議員を 16 年間務めた。その後、国有企業に勤務、伝記も出版。「国際ボクシング殿堂」入り。しかし、慢性外傷性脳症に悩まされ、病気の合併症により86歳で死去。ジョフレほどのテクニックを持つ選手でも晩年はダメージに苦しんだ。ブランク後の復帰が良くなかったのではないか?

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日本ボクシング名勝負(2)「ポーン・キングピッチ vs. 海老原博幸(初戦)」

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」WBC世界フライ級タイトル戦、1963年9月18日、東京体育館。両選手、試合内容、その後の両者を紹介します。

海老原博幸 1R KO ポーン・キングピッチ
(海老原が王座獲得)

ポーン・キングピッチ(王者)

タイ初の世界王者。アルゼンチンの王者パスカル・ペレス(白井義男から王座を奪った男)を判定で下して世界王者になったが、ファイティング原田にKO負けで王座陥落。再戦で王座奪回。しかし、ボクシング界は常に流動的。世界王座が分裂し、「WBC王者」として海老原と初防衛戦。

海老原博幸(挑戦者)

埼玉県出身。本名は松田博幸。ニックネームは「カミソリ・パンチ」。ファイティング原田、青木勝利と共に「フライ級三羽烏」と呼ばれたが「1960年度東日本フライ級新人王決勝」で原田政彦(ファイティング原田)に6R判定負け、初黒星(原田と戦ったのはこれきり)。青木勝利には2RでKO勝利(青木は原田にもKO負け)。原田戦後、勝ち続け、これが世界初挑戦。

内容

1R、サウスポー、海老原の左ストレートが直撃。サウスポーが最も得意とするパンチをまともに食ったポーンは二度のダウン&ラッシュ攻撃であっけなく完全KO負け。後に浜田剛史平仲明信が1RでのKOで世界王者になるが、この当時の1R KOでの世界奪取はかなり衝撃的だったに違いない。

その後の両者
1964年にリターンマッチがタイで行われ、ポーンが王座奪回(KO負けした相手に地元での再戦で勝利したのは凄いことだと思うが、原田との再戦は「地元有利な判定」だったという意見も)。通算三度の世界獲得となったが初防衛戦をローマで行い、サルバトーレ・ブルーニ(イタリア)に敗北。それが最後の世界戦に。1982年に病で死去(47歳)。海老原は世界挑戦に失敗するなど苦難。1969年、WBA世界フライ級王座決定戦に勝利してようやく王座返り咲き。しかし、初防衛戦で判定負け、引退(キャリア終盤はコブシの不調に悩まされ続けたという)。引退後、若手の指導やテレビ解説を務めたが、過度の飲酒により体を壊す。1991年、51歳で死去。)
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日本ボクシング名勝負(1)「ポーン・キングピッチ vs. ファイティング原田(初戦)」

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」世界フライ級タイトル戦、1962年10月10日、蔵前国技館。両選手、試合内容、その後の両者を紹介します。

ファイティング原田 11R KO ポーン・キングピッチ
(原田が王座獲得)

ポーン・キングピッチ(王者)

タイ初の世界王者。「ポーン・キングピッチ」はリングネームで本名は「Mana Sridokbuab」。デビュー戦に勝利。その後、三度敗北を喫してしまったが、タイ王座、東洋王座(いずれもフライ級)獲得。東洋王座防衛戦で三迫仁志を破るなど日本人選手とも対戦してきた。アルゼンチンの王者パスカル・ペレス(白井義男から王座を奪った男)を判定で下して世界王者に。これが四度目の防衛戦であるが、条件付き。原田が「経験の浅い挑戦者」ということから「ポーンが勝っても防衛戦と認められない。原田が勝てば新王者として認める」ということに。

ファイティング原田(挑戦者)

東京都世田谷区出身。本名は原田政彦。弟もボクサー(牛若丸原田。ルーベン・オリバレスといった世界的な選手と対戦。世界は獲れなかったが、日本王者になった)。ニックネームはそのラッシングパワーから「狂った風車」。米穀店に勤務しながら「笹崎ジム」に入門。デビューから連勝。「第17回東日本フライ級新人王戦」で海老原博幸に6R判定勝ち。「第7回全日本フライ級新人王」も獲得。エドモンド・エスパルサ(メキシコ)に判定負けして初黒星を喫してしまったが、世界1位の矢尾板貞雄が突然引退したことから世界挑戦のチャンスが回ってきた。

内容

1Rから積極的に攻める原田。ポーンはタイ人らしいジャブ、右ストレート。リズミカルにジャブを飛ばして右ストレート、左ショートフックを使う原田。ポーンは右ストレートに威力がありそうだが押され気味。11R、右ストレートが効いたポーンに原田がラッシュ。ダウンしたポーンは座ったまま立てず、KO。原田は一発でKOするようなパワーはないが、よどみなく連打できるバランスの良さ、攻めるときのテンポの良さがあった。ポーンは相手がここまでできる選手とは思っていなかったのだろう。

その後の両者
リターンマッチがタイで行われ、ポーンが王座奪回。ポーンはその後、日本で海老原博幸に1RでKOされて王座を失ったが、タイでの再戦で王座奪回(なかなかしぶとい)。通算三度の世界獲得を果たしたが、サルバトーレ・ブルーニ(イタリア)にローマで敗れ、それが最後の世界戦に。1982年に病で死去(47歳)。原田は階級を上げてエデル・ジョフレ(ブラジル)からまさかの世界バンタム級王座奪取。再戦にも勝利。王座陥落後、オーストラリアで三階級制覇を目指したが・・・。                
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令和のボクシング⑦(7月20日、東京・両国国技館:加納陸、那須川天心、中谷潤人)

「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」「加納陸 vs. アンソニー・オラスクアガ」「那須川天心 vs. ジョナサン・ロドリゲス」「中谷潤人 vs. ビンセント・アストロラビオ」を紹介します。

アンソニー・オラスクアガ 3R KO 加納陸
WBO世界フライ級王座決定戦、2024年7月20日
(ダウンシーン)
3R:左フックで加納がダウン
(感想:オラスクアガがタイトル獲得。WBO2位の加納は兵庫県川西市出身。元々はミニマム級で2016年8月20日高山勝成WBO世界ミニマム級王座決定戦を行い、負傷判定負け。その後、WBO太平洋王座(ライトフライ級、フライ級)を獲得し、久しぶりの世界戦。3位オラスクアガはカリフォルニア州ロサンゼルス出身。ニックネームは「Princesa(貴公子)」。試合数が少なく、これがプロ8戦目。3戦目でWBAの地域王座(フライ級)獲得。寺地拳四朗WBAWBC世界ライトフライ級王座に挑戦してKO負け。再起戦に勝利して、この決定戦出場。両国国技館での一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア)。サウスポーの加納が右ジャブ、左ストレート。オラスクアガはガードを上げて左フックからの右ストレート、左右フックでボディ打ち。接近戦。共にパワーを込めて攻撃。3R、打ち合いの中、右ストレートからの左フックで加納がダウン。立てず、KO。我慢比べのような打撃戦となったが、オラスクアガがディフェンス&隙を突く攻撃で勝利。加納はやや真っ直ぐなボクシング。接近戦ではサウスポーの利点を生かしにくい。距離を取る戦い方をすべきだったのではないか?)

那須川天心 3R TKO ジョナサン・ロドリゲス
スーパーバンタム級戦、2024年7月20日
(ダウンシーン)
3R:左ストレートでロドリゲスがダウン
(感想:那須川(WBA世界バンタム級7位)のプロ4戦目。ロドリゲスはプエルトリカンで、4位。那須川と同じ25歳。主戦場はアメリカで、これまで17勝(7KO)2敗1分。デビューから連勝。TKOで初黒星。WBCWBAの地域王座(バンタム級)を獲得したが、直前の試合はTKO負け。コンディションが気になるところ。両国国技館での一戦。サウスポーの那須川。右ジャブ、踏み込んで左ボディ打ち。連打にはパワーが乗っており、ディフェンスもしっかり。ロドリゲスはガードを固めるが手数が少なく、攻撃力もそこそこ。2R終了前、左ストレートからの連打を浴びる。3R、左ストレートが効いたロドリゲス。連打からの左ストレートでダウン。立ったが、レフェリーストップ。那須川が一方的な勝利。攻撃のリズムにまだ固さがあるが、パンチ自体は良かった。ロドリゲスはWBA4位には見えないほど覇気のないボクシング。再起戦であったことに加え、日本の猛暑でパワーが出なかったのかもしれない。)

中谷潤人 1R KO ビンセント・アストロラビオ
WBC世界バンタム級タイトル戦、2024年7月20日
(ダウンシーン)
1R:左ボディストレートでアストロラビオがダウン
(感想:中谷がタイトル初防衛。人気と評価が急上昇の王者中谷が指名試合。WBC1位アストロラビオはフィリピンのジェネラル・サントス出身。デビューから連勝でフィリピン王座(バンタム級)を獲得したが、ジョン・マーク・アポリナリオ(亀田興毅との試合で日本でもおなじみ)に判定で初黒星。WBOオリエンタル王座、WBCインター王座(いずれもバンタム級)獲得。ジェイソン・モロニーとのWBO世界バンタム級王座決定戦は判定負け。WBC王座挑戦者決定戦に勝利して、この二度目の世界挑戦。勢いで王座奪取なるか、といったところ。両国国技館での一戦。互いに警戒しながらジャブ。距離を詰めて右パンチを出すアストロラビオ。中谷はディフェンスしながら左ストレート、右フック。左ストレートがボディに入り、アストロラビオがダウン。立てず、KO。あっけなく終わった試合。大昔から「フィリピン人はボディが弱い」と言われてきたが、それを証明する結果となった。タイミングのいいパンチではあったが、世界戦の挑戦者が1Rでボディを打たれてKO負けとは。アストロラビオはスタイル的にも細かいボクシング。「中谷を脅かす挑戦者」には見えなかった。)