「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

懐かし系の試合を中心に日本ボクシングを紹介するブログ。映像を見た感想を書いています。

「貴重なヘビー級」西島洋介山④

WBF世界クルーザー級王者。NABO王座戦東洋太平洋王座戦。「vs. レオナルド・アギラル」「vs. ウィンピー・ハルステッド」「vs. ピーター・キンセラ」「vs. フセイン角海老」を紹介します。「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

西島洋介山 12R 判定 レオナルド・アギラル
(NABOクルーザー級タイトル戦、1995年)

(感想:西島がタイトル防衛。WBOの地域王座NABO。その王座防衛戦(当時、日本ではWBOは認可されていなかった。そのため、日本では防衛戦ができなかった)。アギラルはメキシカンでNABO1位。これまで11戦全勝(5KO)。メキシコ・ヘビー級王座を獲得したり、大ベテランのマルコス・ヘラルド(マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズらと対戦)に勝利したり。カリフォルニア「グレート・ウェスタン・フォーラム」で行われた一戦。背は低いがガッチリした身体のアギラル。ファイタータイプなのかと思ったら、足を使って距離を取りながらジャブを連打するボクサータイプ。西島はパワーを込めたジャブ、左フック。1Rから西島の左フックがヒットし、アギラルはクリンチ。動きは速いがパンチが軽いアギラル。西島はパワーを入れすぎて空振りが多い。11R、西島がコンビネーション。判定は3-0。西島のパワーが評価されたか。気になったのはやっぱり西島の一発狙いの攻め。11Rに見せたコンビネーションを序盤から使って欲しかったところ。アギラルは後、ビクトル・コルドバ(元WBA世界S・ミドル級王者)を破ってNABOのL・ヘビー級タイトル獲得。その次の試合でジュリアン・ジャクソン(元WBA世界J・ミドル級、WBC世界ミドル級王者)に判定負けし、それがラストファイトとなった。)

西島洋介山 10R 判定 ウィンピー・ハルステッド
(ヘビー級戦、1996年)

(感想:アメリカの白人ハルステッド。これまで81勝(62KO)14敗1分。経験豊富ではあるが、グレグ・ペイジ、トニー・タッブス、ジェームズ・ダグラス、トミー・モリソンレイ・マーサーといった実力者には負けている。体格では少しハルステッドの方が大きいが、背中の筋肉は西島の方が凄い。共に坊主頭でジャブ。西島が踏み込んでワンツー、フック。ハルステッドはジャブ、右ストレートは良いが、動きのキレに欠け、受け身の姿勢。西島も一発狙いのフックをかわされて空振りが多く、妙な動きで相手を挑発するが決定打を打ち込めない。10R、両拳で相手をボカボカ打つ西島(妙な打ち方。隙が大きいように見える)。判定で西島が勝利。最後まで攻めたがダウンを奪えなかった。コンビネーションではなく一発狙いのフック攻撃は的中率が悪すぎる。クリンチも多く、せっかくのパワーが生かされない試合となった。)

西島洋介山 3R KO ピーター・キンセラ
東洋太平洋クルーザー級王座決定戦、1996年)

(ダウンシーン)
3R:右フックで2度、キンセラがダウン
(感想:西島がタイトル獲得。ハイライトで観た試合。キンセラはオーストラリアの白人。オーストラリア・クルーザー級王座などを獲得しているが、直前の試合ではガイ・ウォータース(「ウォータース兄弟」の一人。デニス・アンドリュース、バージルヒルの世界王座に挑戦して敗北。メジャー団体の世界王者にはなれなかった)に判定負け、初黒星。ジャブ、ワンツー、接近してフック連打のキンセラ。西島はパワーで対抗。3R、強烈な右フックでキンセラがダウン。立ったが、再度右フック。再び立ったが、レフェリーはカウントアウトした。キンセラがやや小柄だったというのもあり、西島のフックがうまいことヒットした。キンセラは次の試合であのジョン・ムガビに判定負け。ウォータース戦以後、負け続けのキャリアになってしまった。)

西島洋介山 9R TKO フセイン角海老
(ヘビー級戦、1996年)

(感想:王座決定戦で東洋太平洋クルーザー級王座を獲得した西島だが、これはノンタイトル戦(後に剥奪され、防衛戦は無かった)。パキスタンの「フセイン角海老」なる選手と対戦。東洋太平洋ヘビー級3位のフセインは英国を主戦場にしていたが、ここ数試合は日本で戦っている中堅選手。共に速いジャブ。西島は攻めが相変わらず粗いが左アッパーからの右フックといったコンビネーションがよく出ている。フセインはジャブは良いが、接近戦は得意ではなく、クリンチが多い。西島がマイク・タイソンばりの「右ボディからの右アッパー」、左ボディ打ち。9R、フセインが連打を浴びたところでストップ。「なぜ止める?」といった表情を見せたフセインだが、クリンチが多く、西島の強打を食っていたため、ストップは致し方ないといったところ。西島は次の試合でブライアン・ラスパダを破ってWBF世界クルーザー級王座獲得。しかし、日本ではWBFは認可されていないため、結果的に一度も防衛戦を行うこともなく王座返上。その後も連勝を続けたが、カリフォルニア州クルーザー級王座挑戦はTKO負けに終わり、それがプロボクサーとして最後の試合に。その後は総合格闘技に転向。実力はあったが、ジムとのトラブル、メジャー団体の世界王座への挑戦が無かったのが残念。)

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