「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

懐かし系の試合を中心に日本ボクシングを紹介するブログ。映像を見た感想を書いています。

「世界に近づいた男」村田英次郎① 

東洋太平洋バンタム級王者。四度の世界挑戦でおなじみ。「vs. 朴仁圭」、東洋太平洋バンタム級タイトル戦「vs. 金濚植」「vs. 文明安」を紹介します。「日本ボクシング専門ブログ:聖龍拳」

村田英次郎 10R 引分 朴仁圭
(J・フェザー級戦、1978年)

(ダウンシーン)
1R:右ストレートで朴がダウン
3R:右ストレートで村田がダウン
(感想:京都府出身の村田。15歳で「金子ジム」に入門し、アマチュアで活躍したがモントリオールオリンピック(1976年。シュガー・レイ・レナードやスピンクス兄弟が金メダルを獲得した大会)には出場ならず。19歳でプロデビュー。実力者(ハリケーン・テル、ほか)を破るなど、これまで全勝(10戦全勝(7KO))。日本J・フェザー級1位。韓国バンタム級王者の朴もまた10戦全勝(2KO)。赤いガウンで入場の村田(セコンドにはエディ・タウンゼント)。朴は黒いガウン。しかし、トランクスの色は逆(黒の村田、赤の朴)。共にガードを上げて速いジャブ。朴が伸びとキレがある右ストレート、力強い左フック。そんな朴に村田は右を当てようと狙い、右ストレートでダウンさせる。その後、フットワーク&ジャブで距離を取ろうとする朴、接近戦を仕掛ける村田、といった展開。3R、今度は逆に右ストレートで村田がダウン。攻める朴、右カウンター、接近しての連打で応戦する村田。クリンチが多くなる。判定はドロー。朴はワンツーからの左フックなど実にキレイなボクシングをしていたが、村田が攻める姿勢で何とかドローに持ち込んだ。素晴らしい素質を見せた朴。しかし、「BOXREC」にはマトモな記録が無い。世界戦をやってもいいような実力があったが、村田戦後はどんな試合をやったのだろうか? 苦戦した村田。後のチャンドラー戦を暗示するかのような試合内容だった。)

村田英次郎 12R 判定 金濚植
東洋太平洋バンタム級タイトル戦、1978年)

(感想:村田がタイトル獲得。これまで無敗の村田が初のタイトル戦(日本王座ではなく東洋太平洋王座)。王者の金は強豪ローランド・ナバレッテ(後、WBC世界J・ライト級王者に)との決定戦で王座を獲得したファイター。二度の防衛成功。しかし、直前の試合ではノンタイトル戦で磯上修一に判定負けしている。やや前傾姿勢から左フックを打ち込む金。接近して左右フック乱打。村田は距離を取りながらジャブ、ワンツー。しかし、荒っぽく攻める金に手こずり1Rからバッティングで出血。右パンチにパワーがある金だが、ジャブ無しで突っ込むため攻めが雑になり、クリンチも多い(クリンチ中に打ち合う両者)。村田が丁寧な攻めでポイントを取っている印象。7R、11R、村田が傷のドクターチェック。10R、村田が激しく連打。12R終了、判定は3-0。ジャブをしっかり使った村田が勝利。金の右パンチは強そうだったが、ジャブ無しでは勝てない。結局、金は世界挑戦はできなかったが、後、階級を下げて東洋太平洋J・バンタム級王座も獲得。)

村田英次郎 2R KO 文明安
東洋太平洋バンタム級タイトル戦、1979年)

(ダウンシーン)
1R:ワンツーで文がダウン
2R:右フックで文がダウン
(感想:村田がタイトル初防衛。挑戦者の文はランク9位で、これまで9勝(3KO)4敗。「BOXREC」の記録によると、韓国J・フライ級の王座に挑戦して判定負けしたことがある。1R、シャープなジャブを打つ文。左フックからの右ストレートも良い感じ。しかし、村田がいつものようにジャブ、ワンツーを使いながら隙を突く攻撃でパンチをヒットさせる。ワンツーで文がダウン。2R、反撃する文だが、村田がラッシュ。右フックで文が二度ダウン。立ったが、試合終了(映像ではよく見えなかった。たぶん、エプロンに上がった文のセコンドが棄権を申し入れたのだと思う)。やや強引だったが村田が快勝。ただ、文のパンチが当たるシーンもあった。文は後、韓国バンタム級王座獲得。)

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